伽古屋note

ツイッターの拡張版として。たぶんアニメの話とか小説の話とか。

『グランベルム』の主人公が鬼畜すぎて引く

『グランベルム』はひと言でいうと生き残り系魔法少女もの。

タイトルの件をいろいろ端折って超簡単に説明すると。

 

まず〝新月〟という主人公がいる。(〝満月〟とのダブル主人公な感じだが、今回満月は関係ない)

そして新月のライバルに〝アンナ〟というわかりやすい悪役キャラがいる。彼女は伝統のある魔女の家系で、自分には絶大な魔力があると信じる超高飛車なお嬢さま(努力家でもあるらしい)。

 

でも、アンナが「自分には絶大な魔力がある」と思っていたのは勘違いで、子供のときにこっそり新月が(アンナの力に見えるよう)魔力を使っていた、ということが6話で明かされる。

 

え? それめちゃくちゃひどいよね?

完全に呪いだよね?

人生を狂わすレベルの呪いだよね?

 

勘違いしたアンナは性格をこじらせて、とにかくいちばんじゃないと気が済まず、自分の魔力だけが生きるよすがになってるわけ。それをいまさら全否定ですよ。

 

それを新月(主人公)は「ごめんなさい」で済まそうとする。理由についても「よかれと思って。つい出来心で」という曖昧な、最も最悪なもの。

アンナの母親も母親で、腰が砕けるほどにひどい。「新月はあなたのことが好きだったのよ」と意味不明の理由で納得して、新月を責めるどころか擁護する。そのうえで「あなたは絶望的に魔力がないのだから、別の道を探しなさい」と突き放すの。いまさら。本当にいまさら。

 

いやいやいやいやいやいやいやいや。

てめえらの血は何色ですか?

本当に人間ですか?

完全に鬼ですよね。悪役ですよね。

 

新月はもちろんのこと、母親もかなり前から気づいていたふうなのね。アンナは勘違いしていて、その原因が新月にあったことを。

明言はされていないが描写からおそらく10年以上放置して、勘違いさせつづけて、呪いをかけつづけて、完全に手遅れの状態になってから真実を告げて、「ごめんなさい」で済まそうとする。完全に手遅れになってから、「別の道を見つけてね」と突き放す。

 

言うなら言うで、もっと早く言えよ!怒

 

その場ではアンナも納得したふうに描かれるんだけど、ラストで完全に精神が壊れたことが明かされる。

そりゃそうだよね。

100%新月(主人公)と毒親のせいだよね。

 

新月の最も怖いところは、反省はしているんだけど自分の所業のひどさを認識しているとは思えない点。

でないと引き返せないところまでさんざん引っ張っておいて、ごめんなさいじゃないよね。言うならもっと早く言えって話だし、どうしても告白しなきゃならないなら、アンナの精神的負担を考慮してもっと穏当な方法を探るべきだった。

ひとりの人間の精神と人生と人格を完全に破壊するだけのことをしたのだと、まるで認識できていない。

 

いわゆる鬼畜主人公という属性があるが、大半は冗談で済むレベルのもので、ここまでリアルに、洒落にならないレベルで鬼畜な主人公は初めて見たかもしれない。事の重大性や他人の心をまったく理解していないという点で、サイコパスといってもいい。

 

今後の展開が楽しみです。

 

19年夏アニメ序盤感想

 今期は初回視聴した29作品のうち、21作が一話チェックを通過。

 とりあえず様子見で残した作品もあるので、最終的には13,4作に落ち着くと思うが、今期はかなり豊作だなという印象。

 そのなかから選りすぐりの作品を。

 

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』

「性に翻弄される少女たち」というテーマが(少なくともコメディ系アニメの枠組みでは)とにかく斬新。群像劇であり、コメディであり、リアルと非リアルの匙加減、シリアスとコミカルの塩梅が絶妙。三谷幸喜っぽいというか、シチュエーションコメディ演劇っぽい脚本もグッド。安定しておもしろい。

 

『女子高生の無駄づかい』

 ギャグ系の作品は特に人を選ぶ傾向があってオススメが難しいんだけど、とにかく笑いのセンスが最高。こんなに声を出して笑ったのは久しぶり。1話後半の、バカが妄想を畳みかけるのがツボすぎる。あとOPが曲も映像も素晴らしい。中毒性高し。

 

『まちカドまぞく』

 久しぶりのきらら枠。安心安全安定のきらら枠は健在。非ヲタの人にべつにオススメはしないけど、とにかく最高。これだけで3ヵ月生きていける。

 

 

 今期は上記3本が飛び抜けておもしろい。

 特に上ふたつは見て損はさせないから、ぜひ。

 

 そのほか今期(序盤)でよかったのは、

ヴィンランド・サガ

『ロード・エルメロイ三世の事件簿 魔眼蒐集列車』

『グランベルム』

 いずれもストーリー性が核となる作品なので、まだ評価しづらい、という点もあり。特に「グランベルム」は読めなくて、今後の展開次第では傑作にも駄作にもなりうるかなと(底力は感じる)。

 ここに挙げた6作以外にもおもしろい作品が多く、質も、量も、今期はとても充実してる。前期がやや不作だっただけに、大変嬉しい。

 

 今回はさらっとこのへんで。

 それでは、よきアニメライフを。

 

19年春アニメ総評(裏)

 さ、もうひとつの総評(裏)では、最後まで完走はしたものの、いろいろ言いたいことがある作品を。

 

 とはいえ、自分には合わなかった作品(自分がターゲットではない作品、完全に嗜好とは違っていた作品)は途中で切っているので、ここで触れることもない。完走した以上、なんだかんだ最後まで楽しんだ作品である。

 なるべく笑えるように、刺々しい内容にはしないつもり。好き嫌いで悪罵するようなことをする気もないし。

 それでも批評であるのはたしかであり、ものづくりに関してはプロの端くれとして真剣に論じるつもりだし、批判的なことも含まれると思う。だから批評や批判が嫌いな人は読まないでほしい。

 

 前置きはこれくらいにして。今回取り上げる作品は、

八月のシンデレラナイン

『世話やきキツネの仙狐さん』

『女子かう生』

『フェアリーゴーン』

『キャロル&チューズデイ』

 の5本。

 とはいえ、ぶっちゃけ当エントリは『キャロル&チューズデイ』について語るために書いたといっても過言ではない。そこだけはけっこうまじめに語ります。

 

 

 

八月のシンデレラナイン

 かつてソシャゲ原作といえばクソアニメの代名詞だった。それが近年は「ウマ娘」や「少女歌劇レヴュースタァライト」などの傑作もちらほらと出てくるようになり。「荒野の……」はまあいいか。

 で、表題作。

 いやー、普通だったー。

 特におもしろいわけではなく、よくあるキャラによくあるストーリー。突出した魅力はなく、かといって破綻しているところもなく。すべてが無難にまとまっているので「サークレット・プリンセス」のようにみんなでツッコむことでおもしろくなるわけでなく。いい意味でも悪い意味でも、普通。

 神アニメでもクソアニメでもない、ソシャゲアニメの新たな金字塔。

「普通」

 


『世話やきキツネの仙狐さん』

 おれが癒しを求めていないせいか、まったく嵌らなかった。それにしても、ただのエロアニメやん!笑

 ちょっとまじめな話をすると、エロ作品をおれは評価しない。だって作品性が人気なんじゃなく、エロが人気なだけやん。ここでいうエロとは「女性(男性)を都合よく描く」作品や、「女性(男性)を性的に描く」作品。すべてがそうではないが多くの異世界転生ものアニメ、ラブコメアニメもここに入るし、一貫してまったく評価していない。

 ただ、評価するしないと好き嫌いは別。

「みるタイツ」のように「エロアニメです!!!」って割り切ってる作品は嫌いじゃない。評価はしないが、嫌いじゃない。おれはタイツフェチじゃないしJK好きでもないので半笑いで見る感じだったが、嫌いじゃない。

 しかし「仙狐さん」はなぁ……。「無条件に甘やかしてくれる幼女のママ」で癒されるとか、病みすぎだろ。正直ちょっと引く。これは第一話感想にも書いたが、しかもそれを「人ならざる者」にしてごまかしているのがね。そのこざかしさもしゃらくさい。

 バナナも混ぜるのじゃ!

 

 

『女子かう生』

 そもそも原作が雰囲気ものなんだから、割りきって声も効果音もなしで、BGMだけのサイレントにするべきだったんじゃないかな。しかも雰囲気で見せるにしては画づくりも凡庸。

 声優がいないと露出や売上(やイベント?)が厳しい、と考えたのであろうアニメ制作陣の、腹をくくれなかった中途半端さばかりが目立った気がした。

 それにしても、最後の最後にひとことだけしゃべるのは、演出意図がまったく理解できなかった。ぽかーん、ですよ。制作陣による中途半端さの自虐?

 


『フェアリーゴーン』

 第一話感想であれだけべた褒めした以上、スルーするわけにはいかないよね。

 実際おもしろかったんだ。最後まで安定しておもしろかった。

 ただ、いかんせん話が込み入りすぎている。そのせいでストーリーラインがわかりづらく、見ていてなにに注目すればいいのか、どこに感情移入すればいいのか、戸惑う人は多かったんじゃないだろうか。おれは楽しめたんだけどね。

 あと劇伴(BGM、劇中歌)の自己主張が強すぎたのも気になった。縁の下の力持ちではなく、自己主張する劇伴があってもいいとは思う。ただ、やはり劇伴の第一義は物語を盛り上げることだと思うんだ。

 本作では音楽ばかりが目立つうえに浮いていて、いまひとつ効果的ではなかったように感じた。「灰と幻想のグリムガル」ではあれほど素晴らしかったというのに……。

 


『キャロル&チューズデイ』

 最後に挙げるのは、こちら。

 冒頭に書いたように、この作品(以下「キャロチュー」)についてはたっぷり語ります。

 まず、作品としてはまずまずおもしろかった。絵や音楽のクオリティも高かったと思う。世界配信前提の作品なので、劇中音楽についてはややちぐはぐなところもあったんだけど、それはまあいいとしよう。ここでは触れない。

 言いたいのは脚本や構成であり、全体の雰囲気づくりであり。

 

 まず序盤。けっしてつまらなくはないのだが、なんとなく乗れなかった。それはたぶん事前に見たPV(CM)や、絵柄を含めた画面から滲み出る雰囲気などから想像しうる作風と、実際の作風が違っていたからだと思う。

 人間性を深く描く、じんわりとした、もっとロービートな作品なんだと思っていたのよ。けど実際は人間の描き方が薄っぺらく、ノリも軽く、シリアスよりコメディ寄りの作品だった。

 後者だから悪い、というわけではまったくなく、こっちが思い描いていた方向性とのギャップにしばらく戸惑った、という話。勝手に思い込んだこっちも悪い。

 でもコンテンツには作品の方向性に相応しい「ガワ」が必須であり、そこに失敗するとそれだけで致命的なことになる。

 

 たとえば小説や漫画のカバーやタイトルが、いかにもラブロマンスな雰囲気なのに、実際は猟奇的なホラーだったらどうなるか。

 Amazonに「思っていたのとぜんぜん違いました。星ひとつ」などの低評価レビューが並ぶわけですよ。たとえ猟奇ホラーとして傑作だったとしても、ラブロマンスを期待して買った読者は「裏切られた」としか感じないわけで。

 この「裏切り」はうまく使えば効果的なこともある。いちばん有名なのは「魔法少女まどかマギカ」だろうし、「がっこうぐらし!」もそうだろうか。しかし裏切りを成功させるには綿密な準備や細心の注意が必要だし、センスも求められる。簡単にできることではない。

 基本的には届けたい読者(視聴者)に正しく届けるため、この作品はこういう作風(ジャンル)ですよ、と手に取る前にわかるように努力する。

 ここでギャップが生じて低評価をつけられたときに、「勘違いした人が悪い」「作品性を正しく見て評価するべき」などと言うのは間違いだ。ガワ(パッケージ)のつくり方をミスった制作者の責任である。

 

 話を「キャロチュー」に戻す。

 というわけで、おれはやっぱりキャロチューのガワのつくり方は失敗していたと思う。裏切りというレベルではなく、微妙に(それゆえに致命的に)視聴者が求めるものと、実際の作品性にズレがあったように思う。

 そもそも(後述する理由も含めて)コンセプト段階からミスったか、あるいは制作フローの問題ではないかと推測しているのだが、内情は知らないからこの点については言及しない。

 

 でまぁ「こういう方向性の作品なのね」というのがわかってきたあたりからは、ぐんぐんおもしろくなってきた。AIロボにPV撮影をさせる回などは抜群だった。

 作画は安定してるし、キャラに魅力があり、演出にスピード感もある。クオリティは一貫して高い。だからこの調子で最後まで突っ走ってくれるかな、と思ったら・・・

 

 後半、オーディション番組編に入って、一気に失速。

 オーディション番組というイベント自体は悪くはないと思う。しかし後半がずっとこれではさすがにダレる。

 はたして勝ち負けが決まるだけのトーナメント戦を、逐一描く意味はあったのだろうか。特に物語性もなく、その大半に主人公は絡んでいない。結末(決勝の組み合わせ)もわかりきっているのに、退屈にもほどがある。

 おれは小説において「観念的な夢のシーンは控えめに(できればなくそう)」と言っているのだが、それは「物語がなにも進んでいない」状態がつづくのは、読者にとってストレスでしかないから。夢のシーンは往々にして作者の自己満足でしかない。キャラを立たせるためだけにある、物語の進行に関係のないエピソードもしかり。

 オーディション番組編には、同じ瑕疵を強く感じた。

 勘違いしないでほしいが、この作品における音楽はどれもこれも本当に素晴らしかった。スピーカーを替えてよかったと、いちばん実感できたのがこのアニメだったかもしれない。

 でも、音楽の素晴らしさと作品の構成は話が別。

 

 この作品のメインは人間ドラマではなく音楽だ! というコンセプトであるならば、さまざまなアーティストを並行して描く群像劇にすればよかったはずだ。それならば後半をまるまるオーディション番組に割く意味もあったと思う。

 けれどキャロルとチューズデイ、このふたりを主役に据えるのなら、もっと相応しい物語の展開があったはず。

 主役でありながらふたりの人間性はまったく掘り下げられず、バックボーンも「設定」以上の意味を持っていなかった。

 孤児というキャロルの出自が物語や彼女の人間性に活かされていたとは思えなかったし、チューズデイの家族は最終話しかストーリーに絡んでおらず、最後の盛り上げのための設定みたいになってしまっていた。

 オーディションを描くより、後半はチューズデイと家族の衝突をもっともっと丁寧に描くべきだったんじゃないだろうか。そうすれば孤児であるキャロルの設定も活きてきたように思う。

 後半になって、このアニメはなにを描きたかったのか、中途半端さばかりが目立つようになってしまった。これは監督がどうとか脚本がどうとか誰が悪いという話ではなく、制作体制に問題を抱えていたように思えてならない。

 

 とまぁ、気になったところを書き連ねると辛辣に聞こえてしまうけれど、すべてにおいて平均以上のクオリティはあったし、最後までそれなりに楽しめたのはたしか。

 けれどそれゆえに、さまざまな要素が噛み合っていない中途半端さと、残念さを強く感じてしまったのもたしか。

 

 

 以上。

 思っていたよりまじめに語ってしまったな。

 

 人それぞれアニメ(創作物)になにを求めるかは違ってくるだろうし、嗜好や考え方もさまざま。自分の意見が一般的だとも絶対だとも思ってないし、浅いところも多々あると思う。ほかの考えを否定するつもりもない。

 納得できた人も、できなかった人も、そこは理解していただけたらと。

 

 それでは、よきアニメライフを。

 

19年春アニメ総評(表)

 今回からはてブにしてみた。
 noteは書きやすいんだけど、いろいろと不満もあって。とりあえず実験的にお引っ越し。

 

note.mu

 

 

 というわけでさっそく、2019年の春アニメ(4~6月期)の総評を。総評といっても素晴らしかった作品を褒めちぎるだけなんだが。

 


『ひとりぼっちの○○生活』

 じつは第1話の段階では、それほど注目していなかった。

 しかし途中からはいちばん楽しみにしてたし、終わるのがいちばん寂しい作品になった。ジャンルとしては「萌え系」の「日常系」になるんだろうけど、すごく笑えて、それでいてじんと心に染み入る作品なんだ。

 べつに感動するエピソードがあるわけじゃない。

 夕陽を見たとき、なぜだかわからないけど涙がこぼれそうになることがあるやん。

 美しさや、スケールの大きさや、一抹の物寂しさや、それ以外にも自分でもよくわからない感情がないまぜになって、心に染み入る感覚。

 それなんだよ。

 たぶんなにを言ってるかわからないと思うけど、おれもなにを言ってるかよくわからない。

 まあとにかく、日常系とか萌え系とかでは安易にくくりたくない、笑えて、ほっこりして、じんとくる、そんな稀有な作品だと思う。

 

 おれは「スロウスタート」は隠れた名作だと思っているんだけど、それに近いものを感じる。萌え系の皮をかぶった、地味に心に染みる作品。それが『ひとりぼっちの○○生活』。

 あと、音楽(OP曲とED曲)も最高。

 特にED曲は歌詞が素晴らしくて、軽快な曲調(超レアな3拍子!)なのに、フルで聞くと心のやらかいところを刺激されて涙がこぼれそうになる。神曲

 

 

『さらざんまい』

 第1話こそ視聴者置いてけぼり感が強かったけど、世界観や設定が見えてくるにつれて「あら意外とまともなのね」という感じに。アニメでしかできない映像表現や、キャラクター、展開がてんこ盛りで、「アニメである意味」がすごく感じられる作品。

 これってすごく大事なことだと思っていて。

 でも意外に難しいことでもあって。

 実写ドラマでできることをアニメでやってもしょうがないし、漫画でできることをアニメでやってもしょうがない。アニメなんだから、やっぱりアニメでしか見られないものを見たい。

 

 さて、過剰なメタファーが幾原ワールドの特徴だとは思うんだが、今作は比較的わかりやすいというか、取っつきやすい感じ。ツイッターにも書いたが「ややこしそうに見えて、筋立てはじつはとてもシンプル」な作品だと思っていて。

 でも、最終話にはぶち込んできたな、と。

 そういった解釈とか考察とかを語る気はないのでさておき。とにかく幾原作品のなかでもエンタメ性がひじょうに高い、万人にオススメできる傑作ではないかと思う。

 EDの映像も素晴らしかった。

 


冴えない彼女の育て方

 19年春アニメちゃうやん!と言われればまったくそのとおりなんだけど、おれは今期の再放送で初めて見たんだよ!

 後半はちょっとラブコメ感が強くなって自分の好みからは外れつつあったものの、とにかくおもしろかった。笑えた、という意味でもおもしろかった。

 設定のつくり方がうまいし、会話のセンスが抜群。

 特に霞ヶ丘詩羽の過剰で絶妙な言い回しとツッコミは最高だったし、加藤恵の脱力系のキャラ造形にはノーベル賞を上げたい。基本的にメタの笑いは嫌いなんだが(最も安易だから)メタになりそうでならないぎりぎりを突いてくるセンスも光った。

 そして第0話の画づくりは素晴らしいのひとこと。このレベルは無理にしても、以降はやや平凡な画づくりになってしまっていたのが少し残念ではあったが。

 ともあれ、映画化されるくらい人気になるのも頷ける傑作だった。引きつづき二期の再放送もあるようなので、こちらも楽しみ。

 

 


 以上、今期の問答無用におもしろかったオススメ作はこの2+1本。

「え??? 第一話感想であれだけべた褒めしていたあれは?」

 と思った人がいたらちゃんと読んでてくれて嬉しい。

 あの作品は最後までおもしろかったし、おれは存分に楽しめた。ただ、ここに書くべきではないなと思ったのも正直なところ。

 

 さて、(表)があれば(裏)があるのは世の理。

 タイトルから薄々察した人もいるだろう。そう、今回はオススメ作だけでなく「もうひとつの」総評を上げる予定。上記の作品は(裏)で触れるつもりなので、そちらも読んでいただけたら。

 

 というわけで今回はこのへんで。
 それでは、よきアニメライフを。